公平な報道って?

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データの扱いに関するお話です。捏造についてですね。
なかなか面白かったので是非読んでみてください。

データの捏造には、
1. 実際には存在しないデータを作り出す
2. 実際に存在するデータの一部を隠す

というお話をしています。

タイプ1を『捏造ではない』という人はきっといないと思います。
明らかな『嘘』ですからね。

一方、タイプ2に関しては少し難しいところです。
人によって分かれそう。
『捏造だ』という人もいれば『捏造じゃない』という人もいるのではないでしょうかね。
トラバ元では、『嘘ではないものの、データから得られる意味が変わる』と指摘されています。
作為的な結論に導く、という感じでしょうかね。

マスコミというのはとかくこのような手法を用いていると思うのですが、
これは間違っているのでしょうかね?
一時期、『公平な報道』って言葉をよく耳にしましたが、
そもそも『公平な報道』というのは存在するのでしょうか。
さらに、報道に限らず『情報を発信する』という行為に、『公平性・中立性』を与えることができるのでしょうか。
多分できないんじゃないかなぁと僕は思います。



『情報を発信する』時点で、すでに何らかのスタンスを伴う気がするのです。
そうじゃないと、『何故その情報を発信するのか?』という問いに答えられないんじゃないかと。
さらに、その情報をより効率的に(あるいはうまく)伝えるには、何らかのスタンスをアピールするのが得策だと思うんですよね。
でもそうすると、公平性・中立性というのはなくなるんじゃないか、と思うのです。

そんなわけで、『公平な情報発信』というのはないと思っているのですが、
『発信者Aと発信者Bだったらどちらが公平か』という話はできると思うのです。
『より公平である』ことはできるけど、『公平そのもの』にはなれないんじゃないかと。

『公平』ってのは、極限値とか、漸近線みたいなもので、限りなく近づくことはできるけど
決して到達できないんじゃないかな~と思うのです。

一概に論じられるものではないでしょうけれども。
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by sasayanx | 2005-02-18 00:20 | 日々のメモ  

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