病んでいるわけではないのです

下の記事についたコメントから
少し考えてみたことを書きました。

はっきり言って重たい、小賢しい、そんな内容です。

こんなことばっかり考えているわけではないのですが、
こんなことも考えているsasayanxです。
あいすいません。



『生きている』という経験をした人は、気づいているのだと思います。
『生きている人』にとっては、『死んでいる人とのつながり』よりも『生きている人とのつながり』がとりあえず大事だ、ということに。
それが意識的にであれ、潜在的にであれ。

端的に言ってしまえば、『死んでしまえばそれまで』という面がある、というのに気づいているのだと思います。

だから、自分が死んだ後にも、自分を想起させるもの。シンボルとなるもの。そういった何かを残したい、と思うのだ。そう思います。

規模は色々だけど、その動機は『軽い別れ』の際と同じで、
『相手の中に、自分の占めるスペースがあってほしい』
『別れたあとも、忘れないでほしい』
という気持ちなんだと思います。

それはなんででしょうね。
あんまり深く考えると、戻ってこれなくなるかもしれないので怖いですが、
とりあえず1つ思うのは、『生まれた目的』が欲しいからではないかと思うのです。
『生まれた原因』ははっきりしているものの、その『目的』はわかりませんよね。

『あなたは○○を発明するために生まれてきました』とか、
『あなたは野球選手になるために』とか、
そんな目的を与えられて生まれてきたわけではないから、
『なぜ生きているか』なんてことを考えだすと、わけがわからなくなっちゃいます。

理性を持ってる人間にとって、これはなかなかの苦痛なわけで、そこで『すりかえ』をしたいのじゃないかなと思うのです。
つまり、
『相手の中に自分のスペースがある』
『別れたあとも忘れないでいる人がいる』
から、生きるのだ、って。

そういった状況がほしいんじゃないかと思うわけですよ。
『お前が生きていることは、少なくとも僕にとっては意味がある』
そんな状況がほしいんじゃないかって。

『何らかの形で、相手の中に自分のスペースが欲しい』ってのは、
理性を持っているからこそ生まれる人間の根源的な欲求なのかなと思いました。
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by sasayanx | 2005-04-29 01:16 | 日々のメモ  

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