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Count Basie J.O. in OSAKA Blue Note

初トラックバックです。
先日、カウントベイシーオーケストラを観に大阪ブルーノートに行ってきました。
Count Basie J.O. in OSAKA Blue Note_b0035100_21271972.jpg

内容はけっこうかぶりそうですが、感じたことを書いてみます。



カウントベイシーオーケストラ。ビッグバンド中のビッグバンドですね。
そんな彼らのステージから考えさせられたのは、『人前で演奏する事』の意味。
『わざわざ人前で演奏する以上、聴覚のみにうったえるのではつまらんやん。視覚でも楽しんでもらわんとね。』
そう言われているような気がしました。

さっきも書きましたけど、彼らはプロ中のプロです。演奏を聴いてもらう機会はたくさんありますね。
そんな彼らが『わざわざ』日本という遠い国にやってきて、『わざわざ』お客さんに来てもらって演奏する。
そういうなかなかない機会に、どのような演奏をするか。
ただ単に上手い演奏をするのか。それもいいけど、それはCDでも代替可能。
せっかく目の前にいるんだから、という事ですかな。
どちらにしろ、お客さんに対する誠意から出てるわけですから、どちらが正しいとかじゃなくて、彼らはそうしたいからそうした、という事なんでしょうね。

いや、実際のところ何を考えて演奏してるんかなんてもちろんわからないんですがね。
でも、例えばブッチ・マイルス(ds)を見てると、そう思わないと見てられない。
『もうちょっとちゃんとせぇよ(笑)』と何度つっこんだことか…。

自分もこうありたい、と思います。ほんとに。
聴覚だけでなく、『そこにいるからこそ』というステージ。
ただ、一方で、彼らはプロであり、技量があり、たくさんの機会があるからこそ多少聴覚にうったえる部分を犠牲にしてでもステージが成立する、という面もあると思う。
彼らから学んだモノを鵜呑みにして実行するのは…ちょっぴり疑問を覚えますね。
それで肝心の『聴覚にうったえる部分』がおざなりになるのはいただけない気もする。
ま、常に自分たちを(わからないなりにも)把握し、ステージごとに目的をもってやっていけば、少しは近づけるかなぁ…と楽観的に考えております。

こういう事を考えると、いくら考えても終わらないんじゃないか、と思ってしまいますね。
でも。けど。しかし。
そんな接続詞で次から次へと思考が続いていく。

だから、思考が何となく1周したころに、
やりたいようにやろう!
と決着することが多いですな。
色々と反論を持ちながらも、やりたいようにやるしかないわな、という『強さ』なんだか『あきらめ』なんだか、という感じ。

でまぁ、僕は例えばベイシーJ.O.のようにやりたいので、それを目指してやっていきます。

追記。コメントしづらいですか?ごめんなさいね。

by sasayanx | 2004-10-10 23:55 | 音楽  

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