『幸せを感じるコト』の功罪

うちの学部にはブタがいます。
非常階段でタバコを吸っているときに
よく彼(性別は知りませんけど)を見かけます。
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ごらんになればわかるとおり、彼の居住スペースはとっても狭い。
(中に入れる建物もあるようですが、無視します。)

彼にとっては柵の内側だけが世界。
柵の外も認識はできるかもしれないけど、実感はできない。
彼が実感できるのは柵の内側だけ。とってもちいさな世界ですね。

ふと考えた事があります。
彼って幸せなのかな、と。



多分、多数派を占めるであろう意見ですが、幸せではないと思います。
だって、あんな狭い場所に押し込められて、
夏は暑くて冬は寒くて(建物は無視)、
日当たりは悪いし、
何かしらの形で実験に使われるし(大学で飼ってるぐらいだから、多分そうでしょう)。

かつ、おそらくこれまた多数派を占めるでしょうが、
彼が自身に対して幸せかどうかを考えることはきっとない。
だから、それを人間が考える事にはあんまり意味はない。

まとめると、
『本人(ブタ)がそういう意識を持ってない以上、考えてもそんなに意味ないけど、きっと幸せではないだろうな』
という事になるのではないでしょうか。僕はそう結論しました。

この『幸せ』という概念、定義するのは難しいですよね。
『=うれしい』でもないし、『=楽しい』でもないし。
もちろん、そういう面もあるでしょうけど、
完全に一致するわけでもなく、≒で結ぶのにもちょっと違和感を感じます。

『幸せ』という感覚、人間だけが感じる感覚かもしれませんね。
わかりませんけど。
この感覚があるおかげで、人間は(まさしく)『幸せに』生きていくことができる。幸せを感じて生きていくことができる。
その一方で、この感覚があるせいで、時には悲しくもなり、切なくもなる。
厄介なやつだと思います。

幸せを感じる機能がもしなかったとしたら・・・もしかしたら人間は『シアワセ』に生きていけるのかもしれません。

でも、やっぱり幸せを感じられる方がいい。
そんな気がします。

お読みくださいましてありがとうございました。
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by sasayanx | 2004-10-21 23:54 | 日々のメモ  

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